タイトルは、なんというか
私が私である必要性や納得感を感じられないという意味でつけました。
一旦周りの目とか自分を見る目を気にせず好きなものに好きという感情を持ってみよう
「これを好きな人間だと思われるのが嫌だ」
という感情に振り回された四半世紀弱です。
いつのまにか好きな物事が何もなくて
そういうものを避けてくうちに何にも興味を持たなくなって
必要なことはせずに余計なことばかりしてた
自分を構成しているものの、そのどれを取ってみても美しさを見出すことができません
見て見ぬ振りをしたり開き直ったりする以外の方法で自分の醜さと向き合っていきたい
難しく考えてるから生きるのが難しいのかな
自分を好きになれるときはいつか来るだろうか
右上に居た悲しい見方はどこかに消えて無くなったけど、どうやら右上から自分の目線の高さまで降りてきたみたい
正直いろんなことから逃げ出したい
周りを軽蔑することは簡単で、そうすることで自分を保っていたけど、
今、蔑みの対象は自分自身になって、自己嫌悪よりはもう少し重さがあって、それでいて遠くにあるような感覚がお腹のあたりでぐるぐるしてます。
人の気持ちを、言ってくれた通りに受け取ることができなくて、それをせずに変に勘繰って、その余計な考えで苦しくなって、人から離れて
10年前から全然変わってません
人のこと信用しないのに、人を頼る
変わったところは好きじゃない人とも仲良くなろうとしてしまうところ
私はどういう自分でいたいのか、あるいはどういう人だと思われたいのか、本来指針とすべきモノに靄がかかってわからなくなりました
昔常に抱いていた、病んでる私に気付いて欲しいという幼稚な感情は、今は持ってないし
そのままの私を受け入れて欲しいと思うことは間違っていると思っているし
見守ってくれる人はいて欲しいけど、逐一査定されたくないし
とりあえず自分の向かう先に明るさが見つけられません
あるいは全て、寝不足だからかもしれません