星朱音さんの日記

案外、酒酔い日記と言える。

五感を超えて繋がりたい

2023/4/6 早朝

 

 

 

私はそのうち自分の声が使い物にならなくなり、人と話をしたり歌をうたったりと、声や言葉を用いて自分の伝えたいことを外に表現できなくなる日がいつか来るんじゃないかと怖くなるときがあって

 

それに加えて(あらゆる病気は誰にでもいつでも起こりうるものだと考えている僕は、)ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気の存在を初めて知ったその日から度々自分がそれになったときのことを想像しては恐ろしくなったこともあったんだけど、

 

そしたらさ、そうなったとしても、今までの人生と一緒で何が起きても結局はそれを受け入れて生きていくしかないし

 

今の私にとっての病気は「100%不幸なこと」でも「絶対に治さなきゃいけないモノ」でもないから、このままウンコみたいな顔して日々繰り返しているウンコ以下のオワった生活を続けていったら多分今ある統合失調症以外にいつかなんかの病気になるんだけど、

 

(どうでもいいけど今後どういう病気になっても治療ってのをしないのかもってなんとなく考えてるんだけど、)(病気になったときの僕が決定することだからわからないけど、)

 

 

そんでそのときにさ、

e.g.僕が外の世界に対して自分の伝えたいことを伝える手段を失ってしまったそのときにさ、

 

たとえ指先の感覚がなくなっても、

たとえ「それな」と言葉で共感を示すことができなくなっても、

たとえ見つめ合うことすらできなくなったとしても、

「わかるよ」って伝えられるような、「わかるよ」って伝えてくれるような誰かの側でこの生命が呼吸をやめることができたらいいな〜って

 

それが私の理想の死に方です。

 

とっても静かで、穏やかな最期の瞬間。

「今までありがとう」と「またね」を添えて終わりたいです。

 

息を引き取るその瞬間を誰かに見守られてなくてもいいの。「人間はいつでもひとり」的な言葉たちに自分が救われたことって多分今まで一度もないんだけど。

 

エスパータイプではない僕が誰かとの間でてれぱしーが使えるようになるには、長い時間をかけてたくさんたくさんたくさんお互いのことを知る必要がありますね。

 

病気のみならず変化もいつでも起きるから、はいはいあのパターンねって経験則だけで判断するのではなく、(変化していく)相手の一瞬一瞬にその都度付き合うような覚悟や集中力も大事ですね。

 

日常レベルの認識論的にはさ、私の五感を通じて「私」と「他者(私以外の存在)」がその都度同時に発現するんだとしたらさ、さっきのマバタキで発現した「私」と「他者」は、次にマバタキをして発現した「私」と「他者」とは全くの別物である可能性がヨユーであるわけだからね。

 

 

だから伝えられるときにありがとうもだいすきもいっぱい伝えておきたいんだ、いろんなやり方でね。いつかそれが一切できなくなるときは必ず来るからね。

 

現在の僕の生活は相変わらず、さっきまで持っていた自分の常識では測れない出来事に塗れています。

 

鉄は熱いうちに打て、という言葉がありますが、僕の常識は人間2回目になってからはずーっとアチアチです。常識は熱いうちに打って打って打ちまくれ!全部、今のうち。

 

常識が崩される瞬間のもたらす驚きで、「恥ずかしくなったり病んだり咲いたり枯れたり」するのは楽しいです。濁りそうになるけど、むしろ純化されていくような。だから毎日がたのしいです。

 

物事は飽きないとやめられない、飽きたらやめてる。飽きるためには飽きるほどにやればいいし飽きるまでやり続けるしかない。

 

嫌なことはそこらじゅうにあるけれど、楽しいこともまたそこらじゅうに転がっている。

 

私はいつか、五感を超えて君と繋がりたい。