2023/3/23 26:38
椎名林檎の乳首を捻り上げてマジギレされたいとか、峯田と明け方に不味いラーメン食ったあと2人とも機嫌が悪くなって喧嘩したいとか、大森靖子を何の脈絡もなく突然ぶん殴りたいとか、岡村靖幸とネカフェでエロいことしたいとか、フジファブリックの志村とカフェインで酔ったまま30時間話し続けたいとか
これまでそういうこと考えたことあるけど、今僕はヒルビリー・バップスの宮城クンと付き合いたいよ。
生き物が死ぬことなんてご飯を食べるのとおんなじくらい当たり前のことで、いつどこでどんな死に方をしてもソイツが死んだときがソイツの寿命(死ぬべきタイミング)なんだと僕は考えているんだけど、
今まで僕より先に生まれて僕より早く死んでいった人たちはもうその人生で、その魂がこの世界でやるべきことは全部やり切ったから、そのときに生命が呼吸するのをやめたんだろうと、きっとそういうときに人は死ぬんだろうと思っている。
はぁ。人が死ぬことはさ、当たり前のことだから。それは決して悲しいことではないんだよ。
ただ、もうソイツのあの歌声は聴けないんだとか、ソイツのつくるあの美味い飯はもう食えないんだとか、そういう風に「アイツとはしばらく会えなくなるんだ」っていう実感が湧いたときに切なくなったり寂しくなったりするんだよね。
「そんなに突然死ぬんだったらあのときあんなこと言わなければよかった」とか、「あのときもっとああしておけば」っていう後悔は、まだこの世で生きてる側の俺たちのエゴでしかないからね。
いつまで経ってもそういう風にしか人の死と向き合えない奴はもしもソイツがそのとき死なずに生き続けたとしても、自分の思い描く理想の通りにソイツと関わることなんてできないよ。
そんで誰かが死んだときに、「あのときああしておけば」っていう後悔が残ったんだったら、それは「ソイツの死」が私たちに教えてくれた大事なことで、
それを知ったウチらがこれから先も昨日と変わらず生き続けるんだとしたらおんなじように今日を生きている周りの人たちに優しく接していけばいいんじゃないの?
きっとそれしかできないよな。
そうやって死ぬまで生きていくしかないんだよな。
去年の2月の僕の自殺は、自分にとっては劇的な出来事だったけど、今振り返ってみたら2月や3月って死にたくなるような季節ではあるよね。寒いしなんか生ぬるいし、だからか分かんないけどなんとなくぼーっとしてしまうし。
もうすぐ宮城クンの命日が来るけど、彼はそれまでの人生で、もうその魂がその生命の中でやるべきことは全部やり終えたんだと思うよ。
僕が140錠丸呑みしても死ななかったのは、僕のこの生命に宿った魂には、まだこの世でやるべきことが残っていたから、あのときはまだ死ぬべきタイミングではなかったから今もこうやって生き続けているんだと思ってるよ。
奇しくも宮城クンが亡くなったのは23歳で、私が一回死んだのも同じ23歳のときでした。僕はラッキーなことに、前世の記憶を保持したまま人間2回目を生きる機会を得ているワケです。
あたしがやり残したこと、この世界の中でやるべきことってなんだろうって、毎日少しずつ考えながら生きている。
毎日を真剣に生きること、それには大変な覚悟が必要で、案外誰にでもできることではないし、私自身できてないときもあるけれど、なるべく自分の中で大切にしていることを、毎秒大切にしながら死ぬまで生きていきたいね。
「人生楽しんだもん勝ち」って言葉があるけど、
僕には「人生受け入れたもん勝ち」、の方がしっくりくるな。
今日が無事に終わり、明日も大好きなみんなに会えるからしあわせです。
有難う、そしておやすみなさい。