星朱音さんの日記

案外、酒酔い日記と言える。

地獄で生きていく。

この世は地獄である。

 

 神が創造したこの世界は、悲劇と不幸の連続であり、私には神の人間に対する悪質な悪戯、乃至は無罪の生物に対する暴虐としか思えない。人間が不幸な存在であることは、この世に出生した瞬間から始まっている。仏教的に言えば生老病死で構成された一生だと言えるが、死は人間に残された唯一の救済である。

 

 動物に渡される不幸は主に人間によって与えられるものであるが、時に弱肉強食の自然界で敗北した不幸を含めるとしても、人間のそれにとっては微弱なものでしかない。何故なら、動物には不幸が少ない分、希望もないからである。ただ種の存続のために生誕し、新しく生命を繋げることが彼らの生きる目的だからである。対して人間には知性が備わっているため、様々な予見や経験論によって、これから先のあらゆる出来事に対して絶えず不安が付きまとう。生きるとは苦痛の連続でしかない。

 

 しかし、神によって初めから与えられた原罪(この世で生きること)は、死によって償うことができる。ショウペンハウエルの言うように、幸福な人生など存在しない。あるのは英雄的な人生だ。人が自死を選択する際、それは精神的苦痛が、(生の象徴である)肉体の苦痛を圧倒的に上回る場合である。肉体の受ける苦痛など、比較にならないくらい心が死に向かって進んでいくとこうした事態が起きる。

 

 些細なことも含めれば、私は今まで何度も自殺未遂を図ったことがあるが、今まで一度たりとも死ねた試しがない。その理由は、私と言う現存在にはまだ救済を与えられる価値がないからだと言えよう。まだこの世で苦しめ、と神に言われるがまま、地獄の鬼と化してしばらくは生き永らえるつもりだ。

 

 しかし私はそのような厭世的な人生観だけを以って生きていくつもりも毛頭ない。それは、ストア派ギリシア的な哲学によって支えられている思考であるが、この世界には全く無意味なものも存在していれば、非常に興味深いものや価値あるものもまた同時に存在しているからだ。宇宙は全てを必要とし、全てによって構成されている。ピュシス(自然)(人為的でないもの)は永遠に存在し、私たち人間にはヘーゲモニコン(指導理性)が備わっている。自分にとって無意味なものも、ダイモーンには有意であり、自分にとって必要なものはダイモーンにも必要なものである。

 

 精神が壊れることについて、肉体の故障と関係があるのかないのか、科学的なことはあまりわからないが、心が壊れたときにはダイモーンの流れに身を任せ、身体を休めることは必要なことだ。苦痛の人生を歩まされているのだから、時には休息だってしてもいい。ダイモーンはその瞬間すらも必要としてくれている。

 

 私は救済を与えられるまで、現世で少しでも徳を積めるように励みたい。完成形となることは不可能だろうが、より「善く生きる」ことは可能な筈だ。