星朱音さんの日記

案外、酒酔い日記と言える。

とある日のメエル

 

2018/×/××

 

こんばんは、今日まで返信が遅れてしまって申し訳有りません。今回の暗黒期が始まってからようやく心の回復期を迎えることができたのでポチポチ返信を打たせていただいております。前回のメールで大変失礼なこと(先生という存在に私的な愚痴をこぼすという愚行)をしてしまったという引け目やら、最近知った目上の人間に対する際のマナー(食事の席でのアレコレ等..)を、先生の前で全くしていなかったことへの自責の念やらで、先生からいただいたメールへ応酬することにも、またそれに目を通すだけのことにもなんといいますか、ただのいつもの悪い癖なのですけど、怠るということをしてしまいました。単純な忙しさも要因にあったのですけど9割近く自分の問題です。すみませんでした。重ねて個人的なことで恐縮なの
ですが先日19度目の誕生日を迎え、自己責任という言葉と本気で一蓮托生となる年齢まで既に1年を切りました。大人になることをあれだけ待ち望んでいたのに、いよいよそれを目前にしてみると特に何も変わらないですし、いや、去年までの私からですら現在の自分との間に変化が見られることは確実なのですが、自我が消える(より正確に言おうとすれば自我が薄れて意識の範疇にない)感覚になる時間が増えてきているもので、あらゆることがなんでもよくなってきました。人間というものの性質への諦念といいますか、なんですかね、まだ言葉にするには自分でもよく分からないのですけれど、簡単に言ってみると悩みの対象が自己から人間へと移り変わったことですね。人の悪意に、それが自分とは関係があってもなくても、ただそれを発見することで何故か自分のこころが苦しくなります。人の悪意に対して敏感であることは、自分にもその要素が含まれていることの証明にもなりますが、それ自体「自分はそうなるべき役割を担った人間ではない」という「善い」帰結へ私を導いてくれる指標となるので一概に害あるのみというわけではありません。しかし、いかんせんまだそれを上手いことかわせる能力が足らず辛くなる時期が多くありまして。指導理性ともいうべき、その人間としての良心の様なものとエゴがごっちゃにならないようになおさら勉強を頑張りたいと思っています。いうまでもなく人間の良いところも認識していますよ、今日も感動する出来事がありましたし。ただ事態を無視をするということではなく、よくないことをよくないことだと知りつつも、わざわざ自らの精神を病ませることがなくなるくらい確固たる(しかし本質は流動的な)芯の強さみたいなものを養い、その上でスルースキルを身につければ、ああ、ちょっと本調子ではないので弁明はこれくらいにさせてください。すみません。せっかくご返信いただいたのにそのことについての言及をしていなくてすみません。しっかり読みましたよ、返信として書けるほどには思考が足りてないということなので、それではおやすみなさい。