星朱音さんの日記

案外、酒酔い日記と言える。

今日の夕陽は綺麗なピンク色。

2020/05/27

 

 

 

 

僕、「友達がいない」って公言するのやめようと思いました。

 

友達や親友という存在がいたのは幼稚園の時が最後で、そのときは三人組でいつもつるんでいました。みんな女の子なのにお互いを”ほしくん”、”しほくん”、”ほのくん”って呼び合ってて、一人称は三人とも「僕」。幼稚園のトイレの個室に三人で入って、家から持ち寄ったお菓子をこっそり食べたりたまに喧嘩したり、それでもずっと仲が良くて、でも結局三人とも引っ越してバラバラになって、今は関わりはないけれど、ウン、自分の中にある数少ない綺麗な思い出です。

 

それから小学校に上がって自分がだんだんおかしくなっていって、投票で生徒会長になったりいろんな男の子に告白されたり、客観的に見たら人気がある方だったのに、心の中では周囲からどんどん孤立していって、自分はみんなに嫌われているんだという思い込みからすごく苦しい10代を過ごしました。中学校でも高校でもいじめられたことなんてなかったけれど、いつも一緒にお弁当を食べていた友達の輪から一人離れて、ロッカーの後ろの方で泣きながら小さいおにぎりをかじってました。何も食べたくなくて、でもお母さんがせっかく作ってくれたものだったから捨てるわけにもいかなくて。

 

そうして高校3年生に上がるときに医者のススメで学校を辞めて、転入したフリースクールでもずっと浮いてて、一人だけ15歳の、大麻とたばこをよく吸う背の高い男の子になぜか懐かれていたけれど、友達なんか一人も作れなくて、塾でできた友達にも本当は嫌われてるんだと思いながら関わっていて、結局現役の時は志望校に受からなかったから浪人して、浪人時に通っていた塾でも誰とも話さず、お昼休みはコンビニで買ったパンを食べ終わったら先生に質問しに行くか、本を読むことで時間を潰して、やっとの思いで受かった後には、それまで連絡を取らないでいた高校時代の外部の友人に片っ端から連絡して、受験祝いとかいって毎日呑んだくれてて、その人たちは応援もしてくれていたし、自分が大学生に上がってわかったけれどバイトをしていたって簡単に人に奢るほどの余裕なんてそこまでないでしょ?でもお祝いでプレゼントももらったし、ご飯も飲み代も出してもらって、そこまでしてもらっていたのにその人たちのことですら”友達”と思えなくて、全然心をひらけなかったんですね。心を開くということが具体的に何を指しているのかわからないけれど、うちとこの人は信頼関係にあるんだゾという実感が湧かなかったんですね。

 

それで大学入学後にはサークルに入って、初っ端から飲酒の方面でやらかして、割といろんな人に嫌われて(笑)、「やっぱり自分は友達なんて作れないなあ」とか思って当時の代表に「サークル入るの辞めます」ってラインしたら、その代表の当時の彼女さんに目をつけられて、入った直後からサークルの代表と会話することを禁じられる、なんて昔話は今でこそ笑って話せますが、実際結構メンタルキてました。はは。

 

それでもバンドを通じて関わっていくうちに、有難いことにいろんなパートの人からバンドに誘われるようになって、ステージ上で大きな声で歌を歌えるのが嬉しくて、他の人の演奏してる姿を観るのも楽しくて、入ってよかったなぁって思っているうちに、新しく後輩が入ってきてそれなりにうまく人間関係を構築できたかな、と思えるようになりました。少なくとも、一部を除いてメチャクチャ嫌われてるわけではないよな、と思ってました。

 

でも個人的にメチャつら案件が起こって、まあ失恋という月並みな、あるあるショックなんですけれど、そうしたらもうあらゆるバランスが保てなくなって、いろんなことをして心も体もズタズタに壊して、同級生にも先輩にも後輩にも迷惑かけまくって、ハッとした頃には多分もういろんな人に嫌われていて、陰口を叩かれるのが恐ろしくてサークル辞めたいってずっと考えていて、でも地元や高校時代などにあるような、”ホーム”的な、心置きなくなんでも話せる人間関係をひとつも持っていなかったから、一人になるのが怖くて辞めたくなくて、でもこれ以上ここにいたら、関われば関わるほど人に嫌われていくだけってわかっていて、でも離れたら友達と呼べる人が一人もいなくなってしまうって、怖くて、苦しくて、そのことをサークルの中でも会話ができる何人かの人たちに相談したりしていたけれど、暗い気持ちにとってはその場しのぎでしかなくて、もう、なんというか、星朱音オワコンだ、と自分で思っていました。冬合宿のライブもひどかった(大好きだった4年生の先輩たちに本当に申し訳ない)し、そもそも歌も楽器も下手くそなのにこれまで組んでくれていたのが奇跡だよな、とか懐古する感じで。

 

 

それから最近もサークルの人たちに色々迷惑をかける行動を取ってしまって、メチャクチャ後悔して、落ち込んで、この疫病休止期間にせっかく新しく仲良くなれた人たちだっていたのに、それを一瞬で破壊しかねないようなね、もう文字通りバカな一面を見せてしまったり、そんなことしても何にもならないってもう、これまでの何万回の失敗でわかっているはずなのに結局同じようなことを繰り返していたんです。

 

でも、なんか、何というか、連絡をしたら返してくれたり、遊びに行く約束をしたり、そういうことができる相手のことをどうして”友達”と言えないのか、ふと疑問に思ったんですよ。ふとね。

 

お誕生日おめでとう、のメッセージだって送ってくれるんですよ。

 

そんなの、送ってくれる人に自分が嫌われてるわけないじゃんね、冷静に考えて。

 

だから、なんというか私は、今まで卑屈で勝手な考えに溺れることで、それ以上自分が傷つかないための線引きをしていたわけですが、それで嫌われてたんじゃなくて、友達を大切にしていなかったのは自分の方だったんだ、とすげー反省したんです。

 

いろんな人と仲良くしたかったのに、交友関係を狭めて狭めて、余計なことを言ったり、陰で嫌なことを言ったり、せっかく誘ってもらった遊びにも参加しなかったり、もうバカ、バカバカバカですよ。

 

失恋をした時に相談できる友人がほとんどいなかったことから、そういう(自分にとっての)有事の際に「ねえねえちょっと聞いてくれる?」って気軽に話せる友達、それが欲しかった。欲しかったと言っている今も、多分そういう友達はいるんだと思う。

 

関係性を定義づけすることを、今までずっと忌避していました。その理由は現実を直視したくなかったから。でも今は、別にそんな関係性なんてあってもなくてもあってもなくても、もういいんだよ。大事にしたい人を大事にすればいいし、それで相手が自分と同じ風には思っていなかったとしても別に悲しむ必要はないですよね。うん、行動には全てエゴのふりかけがかかってるからね。

 

ごめんなさい本当、こんな歳にもなって歯医者さんに歯磨きもっと頑張りましょうって言われたり、友達ができませんとか訴えたり、小2かよ、というレベルですよ。

 

でも自分の成長が人より何倍も遅い事実を恨んでも、もう仕方がないし「大器晩成型なのだ!」とポジティブに捉えてこれからも生きていきたいです。

 

そう、私は簡単に死にたがるけれど、本当は誰よりも生きていたいんだ。

 

だから別にこんなクソ面白くもなんともない話、もし最後まで読んでくれた人がいたらそういうわけなんだけどこれからも仲良くして下さると嬉しいです。私、すごく汚いし、醜いし、頭悪いし、タバコ臭いし、いいとこなんて全然ないけれど、でももし私の友達で困ったことがあったら、私にできることだったらなんだってするよ。いつも不快な思いばかりさせてごめんなさい、関わってくれてありがとうね。